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No.86 ツールド熊野 第3ステージ

ツール・ド・熊野最終日、太地町での周回コース。

国内のロードレースのコースの中でも一番好きなコースのひとつだ。

昨日のような登りのコースは得意ではない。嫌いではないが…

強いて言えば長い下りがあるおかげで、なんとかごまかしながら走ってはいるものの、やはり得意なコースではない。

だが今日のコースは、1キロほどの登りはあるものの、パワーでクリアーしてしまえる範囲だし、登り終わってからの下り、そしてそこから始まるアップダウン区間がまるでヨーロッパのロードレースのようで個人的にも好きだ。

まだコースでの勝利はない。

しかしそれは短い日数のステージレースと言う要素に影響されてしまい、どうしても自分の走りをするタイミングがなかった。

初めて走った2003年は、個人総合3位、ポイントリーダーだった中川を助けるため援護に回り、逃げを吸収すべく追走。

その動きで後半は力尽きてそのままリタイヤ。

2006年までこのコースは使われなかったが、再び使われた2006年には序盤から逃げ続け、シチュエーション的に区間勝利へはかなり近いところでレースを進めていたものの、レースリーダーである鈴木真理を残るメンバーが援護しきれず、集団へ戻って追走。

あと10秒ほどのところまで差を詰めるものの追いつくことが出来ず、結果的にはリーダーを失った。

昨年も序盤から攻撃したものの、結局自分たちの動きが吸収されたあとの動きが決定打となり、逃げグループに日置が入っていたことで何もアクションを起こすことなく6位と言う結果でレースを終えた。



自分としては区間勝利という目標だけを考えた場合、非常に恵まれた状況に置かれている。

メイタンのメンバーはリーダーである清水を守るための動き、シマノやアイサンは総合を脅かすための存在。自分たちは総合も可能性がなく、あくまで区間勝利のみにターゲットを絞ることが出来る。

それらの状況をきっちりと把握しながらレースを進められれば、レースとしてはやりやすい。



スタートから、まだ確定していない山岳賞争いの影響でシマノがペースアップ。

最初の山岳賞でニッポのガロファーロがポイントを獲得。これで山岳賞争いは終わるが、このスピードアップをアタックのきっかけにしようと各チームともに山岳賞を通過後にスピードは落ちない。

この動きはある程度予測していて、前から30番目ほどで様子を見ながら走る。

ちょうど登りきったところの左コーナー、俺はまだ集団内でメンバーが絞られていない、格下の選手が集団内にいることで不安定なためコーナーで外側を走る。

そこで更に外を走る選手がイン側に寄ってきたため接触、それが原因で後輪が破損、一瞬にしてスポークが切れてホイールのバランスが壊れ、破壊のときに凄まじい破裂音が響きホイールは一瞬にしてまったく回らなくなってしまった。



コーナーで抜いていくことはヨーロッパでは基本的に行わない。

仮にコーナーの外側から抜く場合でもイン側の選手にあたることなんてあり得ない。

非は確実に向こうにあるのに、音が聞こえただろうにまったく振り向くこともなく、接触した選手はそのまま過ぎ去って行った。

国内で活動しているようなクラブチームの選手ならば、そういう「ミス」を犯すこともあるだろう。そしてもし接触した後に謝ってくる気持ちがあれば仕方ないと思う。

それはレースと言う状況だし、今の俺よりもいろんな状況を知っている選手も少ないと思うから、怒ることはないだろう。叱ることはあっても・・・

だが今回は仮にもヨーロッパで戦っている選手だし、それがコーナー外側からインに入っての接触、あたったことは衝撃で気づいているだろうし、それでも振り向くことなく自分のレースを行うと言うことは、日本でレースをするということは日本の選手をなめているのか、もしくは俺だから別に格下だからいいや、となめられたのか・・・

もし海外で同じことをされているとすれば、それは欧州の常識なのではなく、格下だから「なめられている」のだ。



ニュートラルカーに機材をもらうも集団はアタックを伺って活性化しており、追走しても全然集団は見えてこない。

チームのサポートカー、そして普段からよく知る監督のいるサポートカーは海外のようにペナルティを食らわない程度にうまくペースメーカーになってくれ、なんとかサポートカーの隊列に追いつくものの、こういうレースでの車を運転したことのないクラブチームの監督、そして俺の集団復帰をあまり快く思わないチームなどは、アクセルワークや車のバックミラー越しに非協力的なのが伝わってくる。

なんとか意地でもここは復帰したい。

そうやって追走を続けるものの、結局追いつくことが出来ないままにレースを終えた。



このステージだけではないが、正直この熊野でこのような結果になるとは想像もしていなかった。

昨日からの絶望感が更に膨らんだだけで、結局熊野で何も得ることがなかった。

これだけたくさんのレースをこなしていれば、うまくいかないことも多くある。

ヨーロッパで走っていた時はどっちの方が多かっただろう?と、時間が経過して悪いことを忘れ去っていこうが、それでもわからないぐらいうまくいかなかったこと、辛かったことが多かったはずだ。

でも今回はそれらと比べものにならないほど。暗く重い何かに覆われたような辛い気持ちだ。



熊野では良い思い出で選手を終えたいと考えていただけに残念だが、これもまた人生、辛いことを忘れ去れるように前に進むしかない。

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