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No.064 ジョラジャ・マレーシア第1ステージ

2008racereport-no.064-01.jpg年末の香港のレース後、一度帰国しそのままジョラジャ・マレーシアに出場のためマレーシアへ。

たった3日間の帰国でも日本の寒さは堪えたので、マレーシアに出場できるのはありがたい。

今回の出場メンバーは三船・向川・辻兄弟・松村・涌本の6人。

そして安原監督にタイで働き者ぶりを発揮した松村マネージャーだ。



第1ステージは距離も長く山岳賞も設定されているので侮れない。もしかすると今大会で一番難しいかも知れないコースだ。

スタートから案の定アタックが繰り返される。

最初のポイント賞の手前4キロぐらいでアタックが決まり15人ほどのグループが形成。

2008racereport-no.064-02.jpgそのまま流れ込めるかと思うがポイント手前で集団に合流。俺はそのまま前をキープしポイントを取りに行こうとするが、どこがラインだったのかわからぬままに通貨。多分5位か6位だったのではないだろうか・・・

そこから最初の山岳賞へと向かう。

体感的にはちょうどいいペースで登るが、集団はいくつかのスプリット。俺は山岳賞を争う数人の後ろの30人ほどでクリアー。

タイを走り終えてから、登りは体感的にすごく軽く感じる。

今はその感触を維持しているし、そしてほかの大半の選手はまだシーズン突入したばかり。初レースの選手も多い。

チームメートの向川にしても、初レースでの急勾配でのハイペースでいきなりバックファイア。集団に復帰するのも困難で、そのまま初日でアウトになったかと思ったほど。無線から聞こえる向川と安原監督のやりとりは、かなり切羽詰っており「ここから5人で戦うのか」と悟ったほどだった。



2回目のポイント賞は好位置をキープ。

しかしここでもポイントのラインがわからず、4番手で通過。かろうじて1ポイントゲット。

そして2回目の山岳賞へと向かう。

2回目の山岳賞手前、みなが最初の山岳賞を想像しているのか少し動きが鈍る。おまけに道が狭いため前で抑えられてしまい動けない。その間に10人強の先頭グループが形成され、頂上を越えたときには30秒ほど、下りきったときには3分ほどの差になってしまった。

この間に今まで千切れていた選手も集団復帰、一度千切れて復帰も危ぶまれていた向川もここで復帰する。



俺はチームメートに追走するように指示。このままだと今日のステージどころか総合も何もかも失ってしまいかねない。

3分30秒ほどで推移。前が見えない敵を追うので追走のリズムを掴みにくい。

前に送り込んでいない香港も追走に協力してくれる。そして3つ目の山岳賞をクリアーし、4つ目の山岳賞へと向かうところでインドネシアのポリゴン、そして日本チームの飯島、山岳をクリアーしたところでペースアップ。

何度か動きがあり先行グループから千切れた選手を吸収。

飯島を含む数人が抜け出し先行するグループでも動きがある。

4人ほどが抜け出し、その後は飯島のグループ。

俺もラスト30キロほどの登りで仕掛け、マッキャン(ジャイアント)らと抜け出しを図るが、ほかの連中が先頭を回ってくれない。もしくは回れないだけなのか・・・

そのうち集団も分裂し、俺たちにいくつかのグループが合流。

その結果40人ほどの大きなグループとなる。

そこからも何度かアタックを仕掛けるが抜け出すことができず、集団内でゴール。

先頭からは3分20秒ほどの大差。

同じ集団には涌本のみ、残るメンバーは力尽きて2つめの集団に取り残されてしまった。



思ったよりも天候も穏やかで(気温は高いものの日差しはそれほど強くない)風もそれほど強くない。それに東南アジアのチームも意外と走れる(が、自分たちでレースを動かそうというのはなく、最後のスプリントのみ絡んでくる)ので、ちょっとこの1週間難儀するかもしれない。

諦めているのではない。とにかく自分たちでできることを模索し、明日以降も勝ちを狙って、そして若い選手にはひとつでも多くのことを吸収してもらって今後につなげてもらいたい。

写真
01:マレーシアに到着後、クアラルンプール郊外のシャーアラムに滞在。ここはブルーモスクが有名らしい。毎朝のコーランで目が覚める
02:第1ステージのスタート地点プルトジャヤにて。ここから7日間およそ100キロ、
ゴールのクアラルンプールを目指す


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