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No.050 '08ツアー・オブ・タイランド 第1ステージ
2008年のシーズンスタートした。
俺の場合はカレンダー上の2008年を待つわけじゃなく、ジャパンカップが終わった時点で2007年が終わり、そして2008年が始まっている。
今回のツール・ド・タイランドは当初チームの出場メンバーには入っていなかったが、ここは2008年シーズンを良いコンディションを作っていくため12月からきっちりとレース強度を続けていきたかった。
だから安原監督に無理を言って、急遽メンバーに加えてもらったのだ。
そしてもうひとつの理由として、マトリックスの若手メンバーと海外のステージを通じて俺が今までに得てきた経験を、もっともっと伝えられればと考えている。
25年の選手経験、そして海外のプロアマ通算で1,500レースほどを戦ってきた。
そこで得た経験を、俺は別に現役を退くときに一緒に持っていこうとは思わない。一緒に戦う若手に授けていいと思っている。
ただ単純に渡しても使い方がわからなければ意味がない。だからこそこういうレースを通じて、実戦を通して「取り扱い説明書」を伝えていかなければならない。
俺もここ最近ではアジアのレースもいくつか経験しているが、タイは初めて。
その昔飛行機のトランジットでバンコクの空港に1時間いたぐらいだろうか。
ランカウィ、プーケットのイメージが先行するタイ。気温が暑くトロピカルなイメージ以外は仏教国だというぐらいしか知識がない。いったいレースで使う地形がどうとか、その辺のインフォーメーションはまったくわからない。
レース前夜。
最初にチームが事前に受け取っていたインフォメーションとはかなり違うようだ。
初日は146キロと、最初に聞いていたより40キロ短い。
しかしその後は登りがきつかろうがほとんど200キロ。総距離も6日間で1080キロほどもある。
(ちなみにこれも誤りで、実際には1150キロ近い走行距離だった)
とにかく情報を得るのも難しい。あとは成り行き任せでこなしていくしかないだろうか。
第1ステージは146キロ。
最初の20キロはほとんど下り基調。その後は平坦。
ここはUCIの審判からあまり無理をしないように下るようにと通達される。たしかにかなり勾配もきついし、路面もグリップ感をあまり感じない。
下りきったところでレースはアタック開始。
初日は成功すればそのままジャージなどをゲットできるので皆が狙ってくる。そのためレースは流動的だ。
1チームが5名しかいないので遊軍は作れない。ある程度狙いを定めて組織で動かなければ難しいだろう。アタックがあれば俺も含めて反応するようにする。
俺も何度かレースを動かすが振り出しに戻され、そのときに20名ほどが先行。日置と涌本が入るが2人とも千切れて戻ってくる。これが今日のステージ最大の誤算であり、マトリックスにとって苦難のはじまりだった。
これによりマトリックスは後手へと追いやられる。
ゴールまでがほとんど向かい風の厳しいレースの中で、俺を含めて追走。どんどん消耗していく。
2分近い差を1分20秒ほどにして一度待機。ぜったい追いつきたいチームは俺たちだけじゃないはず。そのあたり見極めたい。
しばらくするとそれまではまったく集団で息を潜めていた他のチームも追走開始。ここで20秒ほどに縮まる。だがまたもや合流できない。
何度も何度も掛け合いが続き、「これはヤバイ!」と感じる動きが。
俺はそこで反応。残り80キロほどあるが今日は比較的距離の短いレース、「ここ」というところで躊躇しては命取り。単独で逃げグループを追いかけたのでかなり消耗するが、ここで何もしないと何も残らない。選択の余地はなかった。
調子が良くないのか、とにかく追いつくまですこぶる時間がかかる。
そして追いついてからローテーション。さっきまでチームと一緒に追走していたからかなりきつい。しかし前は1分ほどで見えている。まずはあの先頭グループに追いつこう。追いつかないことには今日は何も見えてこない。いや、明日以降も見えてこない。まずすべては追いついてから・・・
しかしこの行動が結果的に命取りとなってしまった。
12人ほどでのローテーション。もちろん回らない選手もいる。
時期が時期だけにコンディションができていない選手も多い。その中で追走ペースで走れば、ローテーションがうまくいかない可能性のほうが高いだろう。
前に追いつきかけては引くのをやめる選手がリズムを壊して離れ、そしてまたリズムを上げて詰めて・・これを1時間ほど続ける。
そしてようやく先頭グループに合流。だがそこで俺は全身が攣って力尽き、千切れた。
ここまでにほとんどボトルの飲み物を使い切り、追いついてから補給しようと考えていたのだが、追いつけなかったことで補給のタイミングを得ることが出来ず、結果的には脱水症状、熱中症の症状が出て千切れたのだ。
まずストレッチ。後続のグループが来るまでゆっくり走りながらのストレッチ。
脚だけではなく肩や腹筋も攣っている。呼吸も苦しく耐えるのが精一杯だが、オーバータイムリミットの8%を現時点での平均速度から換算すると、後続にはまり込めば大丈夫だろう。まずは落ち着いて明日のレース以降に備えよう。およそ10分ほど流していると、日置や松村のいる第2グループがやってきた。
両足が攣ってグループにつけないかも、と思ったがなんとか合流。
ラスト10キロほどで辻や涌本のいるグループも合流し先頭30人以外はこのメイングループということになる。
そしてそのままゴール。ゴールできたことにホッとする。
いったい何分遅れたのかは定かではない。
ただ言える事は総合を考える位置じゃないし、もし何かを考えるならそれは区間狙いと言うことだろう。
今日のチームの若手を見ていて、レースの動き、流れに乗っていくということが理解できていない、そしてアタックを見送り危険がやってきても躊躇してしまっているということ。
窮地にいるとき、人をあてにしてはいけない。
俺が2002年ランドバウクレジットで走っていたとき、80年代後半から90年代前半にクラッシックレースで活躍していたマルコ・サルガーリが春のクラッシックレースでの監督としてハンドルを握っていた。
彼はイタリア語、そして片言のフランス語のみだったので、俺とのコミュニケーションは完璧ではなったが、その中で今でも印象に残っているコミュニケーションがある。
躊躇するな、と。
普段はおとなしく力をセーブし、そして「ここ!」と言うときには全開で攻める。攻めるときには躊躇してはいけない、と。
そのことをゼスチャーを使って熱く伝えられたことは今でも印象に残っているし、今でも忘れず実践していることだ。
今日はサリガーリの教えを思い出し躊躇することなく行動したが、体がオーバーヒートしてしまい失敗に終わった。
そしてチームメートも先頭に誰も入れなかったため、このままではチームでの「観光旅行」になってしまいかねない。
まだ12月で焦る理由は何もないかも知れない。。
しかし、されど12月。
全日本選手権が未定だが3週間ほど早まるのでは?と言われていることを考えれば、例年の年末以降のレースに匹敵する。
何が出来て何が出来ないのか。今回の参加メンバーとともに俺も良い勉強をしたいと考えている。
上:ホテルからの景色。異国を感じる
下:さぁ、ツアー・オブ・タイランドが始まる
撮影:Takumichi MATSUMURA
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