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No.040 アジア選手権 チームロード

06アジア選手権チームロード

2006アジア選手権(マレーシア) チームロード 90km

今シーズンの中で、結果を狙っていきたいレースの一つがこのアジア選手権(マレーシア)だった。

選手をしている以上は「日の丸」を着用することに俺は特別の気持ちを持っている。

日の丸を背負うと言うことは生半可なことではなく、軍国主義者でも極右翼でもないが「お国のため」と言う気持ちが自分を奮い立たせる。

強いては自分のため。選手をしている以上、日本を代表して戦うということは名誉なことである。

今回は長らく廃止されていたチームロード、そして個人ロードの2種目に出場することになった。

もし個人ロードを考えるのだったらチームロードには出場しない方がいいだろう。マレーシアの気候は気温も高く湿度も高い。その中で追い込むと言うことは3日後に再びピークを作ると言うことは不可能だからだ。

だが、チームロードに出場すること自体に拒否反応もない。自分自身オランダでのアマチュア時代はチームロードを得意としていて、オランダクラブ対抗選手権のチームロードメンバーに抜擢。ペースを作る役目を担ってきたからだ。

今回のメンバーは、皆タイムトライアルを得意としている。

阿部(シマノ)はこの種目を得意としており、何度もチームロードを経験しているので頼もしい。

飯島は個人タイムトライルでの走りを見ての通り、廣瀬はチームロードこそ初出場ながら、その安定した走りは期待を裏切らないに違いない。

し かし今回のチームロードは残念というか、出場する話が大会まで切羽詰ったところで聞いたため(チームロードを行うのか?と言う問題、そして日本チームが出 場するのか?と言う問題が重なったためらしい)、特殊な練習を必要とするチームロードで、ほぼブッツケ本番に近い出場になったことだ。

しかしどんな状況だろうと自分の全力で戦うしかない。

前日コースを試走。1周22キロ強を4周するコースで、90キロと言う距離だ。

平坦と言う訳でもなく、緩くだがアップダウンは続いている。

その中で1箇所だけ曲者な登りがある。最大5%ほどで1キロ前後登っているだろうか。この登りをいかに無難にこなすかが、タイムアップに繋がる気配を感じる。あとは意外と風がきついので後半どうなるのか・・・

そして前日にレースでのフォーメーションを考える。

ここに来てコンディションのかなり高い飯島を先頭に、阿部・三船・廣瀬の順で走ることにする。

飯島と俺がペースを上げていく、作っていくということで阿部と廣瀬が維持。先頭は10秒から15秒で交代していく、ということを前日にミーティングで確認しレースに挑んだ。

昼を過ぎても気温・湿度ともに高い状況でのスタート。

俺たちのあとからは韓国が2分差でスタートだ。

スタートからスムーズに50キロほどのスピードで先頭を交代していく。俺のみが54Tのアウターで残りのメンバーは55T。14Tもしくは15Tのギヤで風を突き破っていく。

1回目の登り。阿部がペースメーカーとなりクリアー。およそ32キロぐらい。敢えてペースを上げず、ピークからの下りでスピードを維持するために脚を温存しながらのクライミングだった。下りでは11Tでももう1枚欲しいなと思うスピードだった。

2周目に入り、登りを前にして2分差の韓国が俺たちに追いつく。

敵 チームながら素晴らしいフォーメーションでスピードを維持。後で聞くと、かなりの長期にわたり今回のアジア選手権に仕上げてきたらしい。俺たちのように準 備不足を個々の能力でカバーして走っている、と言うよりも、万全な準備体制のみですべてをクリアーしているようにも見えた。

3周目に入って韓国は登りでスピードアップ。俺たち日本チームはこれ以上韓国とバトルするのを諦めた。それは完全に韓国がこの大会において、強者だと認めた瞬間だった。強いことを認めざるを得ない。それほどに仕上がっていた。

その後飯島が徐々にペースを上げてきたので、俺も若干ペースを上げ気味にする。平坦路では53キロ前後のスピードだ。さすがにこの3周目は速かった。

4周目

登りで飯島が上げる。ここでさすがに俺はかなりきつい。スピードも36キロ以上で登っている。阿部も口には出さないがきつそうだ。俺は切れるわけにはいかない。なんとかクリアーして、出切る事ならみんなに託して、ラストのペースアップを図りたい。

そう思いつつラスト10キロを切り、意外にも阿部が力尽きた。

好調な飯島のハイペースをなんとか俺に繋げてきてくれたが、ダメージは大きかったようだ。

そして阿部が千切れた後、俺もダメージが大きかったのか一気に失速。ほとんど飯島が一人で引くような形でゴールを目指す。その影響でスピードはどんどん減速していく。

90キロを1時間56分ほどでゴール。なんとかゴールまで走りきった。まさにそんな感覚。

あ まりのきつさに後半は責任をすべて放棄し、やめてしまいそうになった。それが出来なかったのは、まさに「日の丸」を背負った重みだろうか。いつもの自分の パフォーマンスを引き出せたのか否かは自分では分からない。もっと出来たようにも感じる。ただ一つはっきりしているのは、今出来うる最大の気合いを発揮で きたはずだ。これほど歯を食いしばったのは久しぶりだと感じたからだ。

ゴール後、軽い脱水症状ということもあり、俺はバイクから降 りた後に目の前が真っ白になって意識が消えて倒れこんだ。その後なんとか自力で立ち上がれたが、今度は表彰式の台上で意識を失い倒れこんだ。これほどまで 自分がボロボロになるほど追い込んだのは本当に久しぶりだった。

これほど追い込んだチームロード、最後はイーブンペースで快調に走っていたイランを追い込み、韓国に次いで2位と言うところまでにしておきながら、後半の失速で終わってみればイランにも1分ほどの差で3位と言う結果だった。

数字だけを見れば、「強い日本三浦ジャパン」を作ろうとする三浦監督の目指すところからすると、物足りない結果だったかも知れない。

しかし前出のように、十分準備が必要なチームロードでほとんど行き当たりばったりの出走だったことを考えると俺は上出来だったと思っている。

このナショナルチーム選抜によって、俺の中で長年ナショナルチームに選抜されなかった思いは満たされたのは事実だ。しかしそれと同じ、もしくはそれ以上に俺自身の選手の賞味期限がまだまだ残されていることも再認識したつもりだ。

3日後に行われる個人ロード。そこで俺の経験・力が発揮でき、「日の丸」に恥じない走りをしたいと思う。

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