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No.032 ツール・ド・インドネシア第2ステージ
Stage2 Bandung〜Cirebon 133.1km。
山岳ポイントが設定されていない登りがひとつある。コースプロフィールを見るとおよそ200mほどの高低差だ。ひとまずは登りを越えてポイント賞争い、そして区間などを冷静にみていきたい。
ス タートからアタックが開始。かなりスピードがあがる。路面はかなり荒れていて、走ることに専念してしまうと路面の穴にヒットしていまう。アップダウンの丘 陵地から登りのピークに向けて集団は進んでいく。何度か逃げは決まりかけるが、多分積極的に引ける選手が少ないのか、あと一歩で決まらない。
下りは高速コーナーの連続する峠道。車は路肩に寄っているはずが、結構動いていて危ない。ジャイアントの選手が下りで強引に抜き去ったあと、曲がりきれずに落車。ジャイアントの選手が審判に対して、車が止まっていたり前からやってくるので危ない!とアピールしレースは一時中断。それも1回目のポイント賞まで3キロで・・・
正直なところ、なんで自爆した選手のためにレースを?と思うが、事実危険なのは確かだ。今目の前のスプリント賞、とにかく目先のことを考えるとジャイアントに同調するメリットがまったくない。自爆する選手が悪い。止まっている車は路肩のゴミと同じだ・・・
とにもかくにもまだ第2ステージ、余計なストレスを感じずに走りたいものだ。
レースは再開。スプリント賞はあまりにもポイントが近いと言うことでキャンセル。しかしレースリーダーは強引にスプリント。それも直前まで「(スプリント)キャンセルだからもがくなよ」と言っておきながら・・・
あまりに頭にきたので、俺はポイントライン直後にアタック。そのまま集団から離れていくが10分ほどで集団に吸収。このあたりから俺自身徐々に調子も上がりだし、後半に向けていい感触を得始める。
二回目の長い下り。俺はデンマーク人がペースアップしたのを見逃さず、それを利用してアタック。このペースアップにデンマーク人と俺、そして廣瀬と飯島と言う日本人にとってすごく良い環境を整えることができた。俺は3人でペースアップを試み、集団の中で攻撃を開始する。
そ の後10人ほどで逃げが決まるが引かない選手が多すぎる。一度ここで後続集団に飲み込まれ30人ほどに。しかしリーダーは取り残される。しばらくすると先 頭グループも消極的な選手が多すぎて再び集団は一つに。これはかなり気合を入れないと前に抜け出せない。引かない選手をどう扱うのか・・・
何度か逃げを試みたあと、福島弟がジャイアントの選手とアタック。これをデンマークチームがチームで追走。どんどん目減りし、最後はリーダー自らギャップを詰める。
そしてそのタイミングで廣瀬、飯島が仕掛ける。俺はその消耗したところで攻撃。しばらくするとマッキャンと俺が抜け出し、それが呼び水となり逃げが決まった。それも飯島・福島兄・廣瀬が入る。それに総合を狙えるのはマッキャンぐらいか。俺はみんなにこの逃げを決めるぞ!とハッパをかける。
もちろん俺自身、この逃げが決まるように先頭を引きまくる。そして2回目のポイント賞、俺は1位で通過しバーチャルでリーダーに。
チームメート達は俺に最後に備えるよう、仕事をしてくれる。俺も一応この逃げが確実になるまでは引こうと考え、無理をしない程度には先頭に出ていく。
およそ90キロ地点、道のアスファルトがなくなっている区間がいきなり出てくる。
それまでの路面の悪さから、たいていのことに驚きはなかったが、その区間は極端な例えだが道がない、といって過言じゃないだろう。
遠めに俺はダート区間が見えたとき、とっさにスピードを上げて一気に通過しようとしたが、近くまで来たとき、最大30センチほど掘れた部分、そしてその先の橋は線路の枕木が縦に置いてある。
ダート区間は荒れた部分の頂点を跳ねるようにしてなんとかリム打ちは避けた。ホッとしたのも束の間、いきなり枕木の隙間にタイヤが入った。俺は片足をすぐにペダルから外し、バランスを保って落車を回避した。
この区間で飯島がパンク。貴重な戦力。待つのか?行くのか?
俺はチームをまとめる者として、福島と廣瀬に「行く」ことを告げる。
この時点で1チームから3人入っているのは日本のみ。
チーム成績もだし、総合上位に3人もいれば作戦の幅は広がる。
万が一、飯島を待つ動きをして再び集団に飲み込まれれば、せっかくのシチュエーションをすべて捨てることになる。今は飯島には悪いがすべての成績を優先して前に行くのみだ。それは俺が逆の立場でも一緒だ。
しばらくして後ろからロイド(ジャイアント)、そしてコウデントソフ、ポロック(共にグリーンフィールドチーム)らが合流。これで20人。3人乗っているのはグリーンフィールドチームと俺たちだけだ。他にジャイアントが2人、デンマーク1人、イラン2人など。
この時点で俺がコウデントソフを2秒リードしてバーチャルリーダー。まずはこのまま集団から逃げ切って、勝負できる人間を一気に少なくしたい。基本は俺の場合は力を温存でゴールへ。そしてチームメートにはグループの動きが止まらないように回してもらう。
ラスト10キロで集団とのタイム差は2分20秒ほど。グループは皆先頭に出るのを拒むし、イランの選手などは先頭交代をしていて2番手になるといきなり横に出て先頭交代のリズムを壊してくる。イランの選手は先頭交代しない!と噂には聞いていたが、これはひどい。
ラスト5キロを切ってようやくグリーンフィールドチームを中心に前を固めてペースが安定。
ラスト2キロ、ここで福島がアタック。しかし決まらず。ここでポロックが集団の先頭にでてペースを上げ始める。残るは1キロ。
ポロック、福島、コウデントソフ、イラン人、俺の並びでラスト400mに入る。ここでポロックが引き終えスプリント開始。
福島が右側ギリギリで引き、コウデントソフが左から仕掛けた。そのとき前のイラン人がもがけずにズルズルと下がったため、俺は完全に塞がった。俺はそのまま何も出来ずに4位で流れ込んだ。
せっかく今日はチームメート皆が協力してくれたので悔しい。だが福島が表彰台にのり、俺が4位。廣瀬が12位でこの日の団体区間賞を獲得。毎ステージごとに団体区間賞でも賞金がもらえるので、どんな状況でも団体も無視できない。
この日を終えて総合2位。区間賞したコウデントソフがリーダーで8秒遅れ。そして3位には俺と同タイムで福島兄。総合9位に廣瀬と言う状況だ。そしてポイント賞争いでも俺はトップと同点で2位。
明日以降、俺としてもチームとしても楽しみだ。
区間成績
1位 コウデントソフ
2位 福島兄 同タイム
3位 セイェドレザエイ 同タイム
4位 三船雅彦 同タイム
12位 廣瀬 +2分36秒
44位 飯島 +2分36秒
61位 福島弟 +2分36秒
総合成績
1位 コウデントソフ
2位 三船雅彦 +8秒
3位 福島兄 +8秒
38位 飯島 +2分50秒
65位 福島弟 +3分2秒
1位 シュルツェ 10ポイント
2位 三船雅彦 同点
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