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No.027 全日本選手権ロード

’06全日本選手権ロード 全日本選手権ロード。それは名のごとく日本人で最も強い選手を決める大会。この大会は消化試合のように考えたくない。走るからには一番を目指した戦いたい。そういうレースだ。

今まで何度となく出場したが、まだこの大会では優勝者リストに名を残していない。もし願いが叶うなら、「全日本」と名のつく大会の優勝者リストには必ず名を残しておきたいものだ。

このレースに向けて俺は去年と同じく暑さ対策を入念に行った。

普段の練習では冬用の長袖ジャージに冬用のタイツ。場合によってはシューズカバーに長指グローブも着用。正直これ正午に練習していても走れないということはなかった。暑さに対してはまったく苦じゃなくなった。

しかし・・・

レース当日は朝から雨で、この梅雨の季節に入った中で一番気温が低い。今まではどんなに雨が降っても湿度が高く、気温も下がらなかった。それが広島での全日本選手権での特徴だったが、今回は違った。

この環境だと直前にヨーロッパから帰国してもそれほど体には負担がない。もし本当に勝ちを考えるなら、自分より恵まれた環境の選手にとって厳しい条件になってくれる方が有難い。

スタートから淡々と周回を重ねる。だが自分の思い描いている景色の流れがない。重い。俺はしばらく我慢して集団で走ることにする。

5周回を過ぎてスタート地点を過ぎ、嘔吐す る。いつもと同じパターンで行動している。なぜか体が思うように動いていない。焦っていることが体の機能までも狂わせているのか・・・その後集団から遅 れ、追走。ほぼ半周かかって集団に復帰する。ここで序盤よりも脚は軽く感じ始めた。ラッキーだ。なんとかなるはず。自分を信じて集団で様子を見る。

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いきなり「パシュ!」とパンク。俺はすぐに立ち止まり後輪を外そうとする。中村が俺の横でホイールを持ってスタンバイしている。だがなぜか俺のホイールパンクしていない。ん??

自分のホイールだと思ったパンクは、実は自分の横の選手のパンクだった。それすら冷静に考えれないほどに消耗しているのか・・・

残り5周ほどになったところで別府(ディスカバリー)が動いた。

シマノやバンの動きを見ていて、勢いを感じなかった。もし優勝するのにキーマンが集団がいるのなら、それは絶対別府だろうとレース前から感じていた。

俺は別府の近くを走っていた。登りでも2人ほどを間に入れて登る。だがこの周回中ずっと脚が重い。気持ちはかなりリカバリーしているのに脚は消耗したまま。

しばらくして一番きつい勾配のところで我慢できず千切れる。今日のレース集団から離脱するのは二度目だ。俺はもう一度奇跡を信じて全力で走り出す。すると後方から狩野(シマノ)がトラブルを起こしたのか大内が引いてやってくる。このグループで走っているとホームストレートで遅れている真理を発見。一体どうしたのか?トラブルを起こした形跡はない。

俺は脚が重いので自分のために走るのを諦め、そのまま狩野や真理の前に出て全力で追走。集団に徐々に迫っている。そしてスタート・ゴールから一番遠い地点で追走グループからも千切れた。

そして登っているときになぜ後半重いのかが判明。

それは後輪がパンクしていたのだ。

確かに今日は朝から冷静さがなく、体調も優れなかった。しかし後半は勝てるコンディションはなかったろうが十分一桁に入り込むだけのコンディションはあったと思っている。しかし肝心のハードディスクは最初から作動せず、それどころか損傷していたような、そんな一日だった。

俺はホームストレートでバイクを降り、一番結果を残したかったレースで嫌なイメージ以外何も残すことなく今年の全日本選手権に幕を引いてしまった。

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