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No.014 デンマーク遠征

(2001年 GPミット・バンクより)

5月第1週めの週末、デンマークのレースに出場する事になった。

デンマークまで車で移動。ベルギーのアパートから実に9時間半。チームカーに座っているだけでもかなり消耗する。デンマークってこんなに遠かったんだ!と実感した。

5月5日「GPミット・バンク」に出場。

コースのプロフィールを見てびっくり。別タイトルは「デンマークパリ〜ルーベ」。パーヴェって書いてあるけど石畳じゃない。ただの「地道」が17回で合計28キロもある。

そのうちの1回なんて標高差80メートルほどを地道で登る。まぁ他の選手と比べると地道を走るテクニックは持っているし、石畳での走りも、先週のシュヘルデ・プレイスで十分通用する自信はある。

CSCワールドオンライン。デンマーク唯一のディビジョン1チームで、ツール・ド・フランスの出場もつい先ほど決まったばかり。

昨年、一昨年と優勝したサンドストッドがエースか。それに去年3位のスプリンター、ピズィクス。それにローラン・ジャラベールもいる。

今期絶好調のチームファクタ(デンマーク)、それにオランダのバタヴァスの選手あたりは要注意、チェックする必要がありそうだ。

序盤に8人の逃げが決まった。チームからは「逃げ屋」の異名をとるマッコーリーがこの逃げに入る。俺は脚も軽く調子良さそうだし、集団の中で様子を見る。しばらくするとCSCワールドオンラインが集団を引っ張る。40キロほどで集団落車発生。俺の横で落車し、僕の後輪にヒット。衝撃で後輪が横にスライドするが、事なきを得る。

この落車の影響で集団は45人ぐらいになる。チームからは俺とクイリッツの2人のみ。しかし地道がやってくるたびにクイリッツはきつそうだ。何度も数人で千切れながらも追いついてくる。100キロ地点の補給地点で集団から千切れてしまった。

110キロ地点の登りで集団はバラバラ。6人ほどが抜け出し、俺は7人ほどの2つめのグループ。下りで追いつき、CSCがまたもや集団を引き出す。

120キロすぎの地道で、木の枝が前輪に絡み立ち止まって外す。この地道は2.5キロあり、残り1キロを単独で走り追いつく。それにしても硬い路面だったり、砂だまりになっていたり・・・油断できない。まるでシクロクロスだ。

130キロ地点で3.5キロの地道。ここで前のグループは完全に射程圏内。多分40秒ほどだろうか。CSCは最後のアシストを使ってペースアップして、この地道に突入。鋭角コーナーを曲がってすぐに地道なのだが、位置取りはスプリント合戦になり、その勢いのままコーナーに突入。ここで数人が砂地に前輪を取られて落車発生。この影響で7人ほど(CSC2人、チームファクタ1人、サターン1人、ムロズ1人)が抜けだし、先行グループは新たに作り直され、計12人となった。

俺はジャラベールなどと7人ほどで2つめのグループ。しかしジャラベールもチームファクタも先行しているので協力してくれない。そのためにみすみすこの12人ほどの逃げを見逃してしまった。

マッコーリーはまだ何とか先行しているようだ。その方が俺もパワーを温存できるので有り難いが、ピズィクス、サンドストッドが先行してしまう。本当は追いつきたいのだが・・・。このままだと俺のトップ10入りは絶望的だからだ。

ラスト50キロで集団から3人抜け出し、お互い牽制が続いてグループを逃がしてしまった。

集団も30人弱しかいなくなっている。こうなるとどのチームも主導権を握れないほどの人数しかいない。

地道ごとにポーランドのCCCマットの選手がペースを上げ、集団はますますコンパクト。20人強しかいなくなった。

ラスト40キロは10キロのサーキットを4 周。ここで先行する3人に前から遅れた2人の計5人を吸収。前は9人のみ。しかしこのとき僕は、まったく前の状況を知らずに走っていた。サポートカーもラ スト45キロでマッコーリーにまわり(それまでは今日のエース扱いは俺だった)、あとになって走りに影響してしまうことになる。

ラスト1周、最後の地道で3人がアタック。俺はすぐに追いつけると思い、8番手ほどだったが無理に追走せず。しかし3人は協力しながら差を付けていく。ムロズ、チームファクタが入っているので、集団の中のチームメートが、ペースを混乱させているのだ。

ラスト3キロで新たに5人が抜け出す。俺は動きが取れない。チームメートもいず、動くと確実にチェックされている。地道での走りは、確実に他の選手にチェックされていたからだろうか。

ラスト1キロでアタックする選手に反応するが、グループを引き連れる格好となった。

ラストのコーナーを曲がって300メートル、やや登ってゴール。少し向かい風。俺は最後の逃げが捕まって良い位置を取れなかったが、それでも7番手でコーナーをクリアー。

53Tx15Tでスプリント開始。12Tにシフトし全力でもがく。最後は1人を差せなかったがグループの2位でゴール。

結果、20位でゴールとなった。

ゴールして初めて先行している選手が9人と聞く。もしラスト周回で知っていたら、3人の逃げには何が何でも食らいついていっただろう。10位までがUCIポイントなのだから・・・。

マッコーリーは7位でゴールし12ポイント獲得。チームとしては良い結果となったが、俺の今日のコンディションなら、10位以内が狙えたので悔しい。

ギヤが古く、9段のうちまとっもに使えたのがたったの4段!12T〜15Tまでで、登りはインナーにしたのでそれでもたったの8段。

第1メカニックがデンマーク遠征前に、いつの間にか勝手にギヤを磨耗した物と交換していたからだ。

今日は第2メカニック。たった5人の選手だったので、交換機材もごく数ペアのホイール

のみ。ギヤはすべて使い込んだ物ばかり。こんなトラブルがなければ、もっと楽にレースに集中して、もっと上位を獲得できたはずだ。

たった33人がゴールした激しいサバイバルレースでの20位は、監督やメカニック、マッサージャーも大変喜んでくれたが、自分の実力を客観的に見てこの成績は不本意だったと思う。

トップ10に入るのは、年に何10回もチャンスがある訳じゃない。だから限られたチャンスを確実に物にしていかなればならない。このレースだって来年出場したとしても、パンクや落車しない保証はない。

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