ホーム > Massa’s Legend > No.014 デンマーク遠征
No.014 デンマーク遠征
5月第1週めの週末、デンマークのレースに出場する事になった。
デンマークまで車で移動。ベルギーのアパートから実に9時間半。チームカーに座っているだけでもかなり消耗する。デンマークってこんなに遠かったんだ!と実感した。
コースのプロフィールを見てびっくり。別タイトルは「デンマーク版パリ〜ルーベ」。パーヴェって書いてあるけど石畳じゃない。ただの「地道」が17回で合計28キロもある。
そのうちの1回なんて標高差80メートルほどを地道で登る。まぁ他の選手と比べると地道を走るテクニックは持っているし、石畳での走りも、先週のシュヘルデ・プレイスで十分通用する自信はある。
CSCワールドオンライン。デンマーク唯一のディビジョン1チームで、ツール・ド・フランスの出場もつい先ほど決まったばかり。
昨年、一昨年と優勝したサンドストッドがエースか。それに去年3位のスプリンター、ピズィクス。それにローラン・ジャラベールもいる。
今期絶好調のチームファクタ(デンマーク)、それにオランダのバタヴァスの選手あたりは要注意、チェックする必要がありそうだ。
序盤に8人の逃げが決まった。チームからは「逃げ屋」の異名をとるマッコーリーがこの逃げに入る。俺は脚も軽く調子良さそうだし、集団の中で様子を見る。しばらくするとCSCワールドオンラインが集団を引っ張る。40キロほどで集団落車発生。俺の横で落車し、僕の後輪にヒット。衝撃で後輪が横にスライドするが、事なきを得る。
この落車の影響で集団は45人ぐらいになる。チームからは俺とクイリッツの2人のみ。しかし地道がやってくるたびにクイリッツはきつそうだ。何度も数人で千切れながらも追いついてくる。100キロ地点の補給地点で集団から千切れてしまった。
110キロ地点の登りで集団はバラバラ。6人ほどが抜け出し、俺は7人ほどの2つめのグループ。下りで追いつき、CSCがまたもや集団を引き出す。
120キロすぎの地道で、木の枝が前輪に絡み立ち止まって外す。この地道は2.5キロあり、残り1キロを単独で走り追いつく。それにしても硬い路面だったり、砂だまりになっていたり・・・油断できない。まるでシクロクロスだ。
130キロ地点で3.5キロの地道。ここで前のグループは完全に射程圏内。多分40秒ほどだろうか。CSCは最後のアシストを使ってペースアップして、この地道に突入。鋭角コーナーを曲がってすぐに地道なのだが、位置取りはスプリント合戦になり、その勢いのままコーナーに突入。ここで数人が砂地に前輪を取られて落車発生。この影響で7人ほど(CSC2人、チームファクタ1人、サターン1人、ムロズ1人)が抜けだし、先行グループは新たに作り直され、計12人となった。
俺はジャラベールなどと7人ほどで2つめのグループ。しかしジャラベールもチームファクタも先行しているので協力してくれない。そのためにみすみすこの12人ほどの逃げを見逃してしまった。
マッコーリーはまだ何とか先行しているようだ。その方が俺もパワーを温存できるので有り難いが、ピズィクス、サンドストッドが先行してしまう。本当は追いつきたいのだが・・・。このままだと俺のトップ10入りは絶望的だからだ。
ラスト50キロで集団から3人抜け出し、お互い牽制が続いてグループを逃がしてしまった。
集団も30人弱しかいなくなっている。こうなるとどのチームも主導権を握れないほどの人数しかいない。
地道ごとにポーランドのCCCマットの選手がペースを上げ、集団はますますコンパクト。20人強しかいなくなった。
ラスト40キロは10キロのサーキットを4 周。ここで先行する3人に前から遅れた2人の計5人を吸収。前は9人のみ。しかしこのとき僕は、まったく前の状況を知らずに走っていた。サポートカーもラ スト45キロでマッコーリーにまわり(それまでは今日のエース扱いは俺だった)、あとになって走りに影響してしまうことになる。
ラスト1周、最後の地道で3人がアタック。俺はすぐに追いつけると思い、8番手ほどだったが無理に追走せず。しかし3人は協力しながら差を付けていく。ムロズ、チームファクタが入っているので、集団の中のチームメートが、ペースを混乱させているのだ。
ラスト3キロで新たに5人が抜け出す。俺は動きが取れない。チームメートもいず、動くと確実にチェックされている。地道での走りは、確実に他の選手にチェックされていたからだろうか。
ラスト1キロでアタックする選手に反応するが、グループを引き連れる格好となった。
ラストのコーナーを曲がって300メートル、やや登ってゴール。少し向かい風。俺は最後の逃げが捕まって良い位置を取れなかったが、それでも7番手でコーナーをクリアー。
53Tx15Tでスプリント開始。12Tにシフトし全力でもがく。最後は1人を差せなかったがグループの2位でゴール。
結果、20位でゴールとなった。
ゴールして初めて先行している選手が9人と聞く。もしラスト周回で知っていたら、3人の逃げには何が何でも食らいついていっただろう。10位までがUCIポイントなのだから・・・。
マッコーリーは7位でゴールし12ポイント獲得。チームとしては良い結果となったが、俺の今日のコンディションなら、10位以内が狙えたので悔しい。
ギヤが古く、9段のうちまとっもに使えたのがたったの4段!12T〜15Tまでで、登りはインナーにしたのでそれでもたったの8段。
第1メカニックがデンマーク遠征前に、いつの間にか勝手にギヤを磨耗した物と交換していたからだ。
今日は第2メカニック。たった5人の選手だったので、交換機材もごく数ペアのホイール
のみ。ギヤはすべて使い込んだ物ばかり。こんなトラブルがなければ、もっと楽にレースに集中して、もっと上位を獲得できたはずだ。
たった33人がゴールした激しいサバイバルレースでの20位は、監督やメカニック、マッサージャーも大変喜んでくれたが、自分の実力を客観的に見てこの成績は不本意だったと思う。
トップ10に入るのは、年に何10回もチャンスがある訳じゃない。だから限られたチャンスを確実に物にしていかなればならない。このレースだって来年出場したとしても、パンクや落車しない保証はない。
Contents
- Massa's Channel
- Massa's Gear
- Massa's Video
- Massa’s Legend
- Massa’s Talk
- Tohoho
- What's a Massa!
- お知らせ
- ライディングスクール
- レースレポート
Blog
Pages
月別リスト
- 2013年2月
- 2013年1月
- 2012年12月
- 2012年11月
- 2012年10月
- 2012年9月
- 2012年8月
- 2012年7月
- 2012年6月
- 2012年5月
- 2012年4月
- 2012年3月
- 2012年2月
- 2012年1月
- 2011年12月
- 2011年11月
- 2011年10月
- 2011年9月
- 2011年8月
- 2011年7月
- 2011年6月
- 2011年5月
- 2011年4月
- 2011年3月
- 2011年2月
- 2011年1月
- 2010年12月
- 2010年11月
- 2010年10月
- 2010年9月
- 2010年8月
- 2010年7月
- 2010年6月
- 2010年5月
- 2010年4月
- 2010年3月
- 2010年2月
- 2010年1月
- 2009年12月
- 2009年11月
- 2009年10月
- 2009年9月
- 2009年8月
- 2009年7月
- 2009年6月
- 2009年5月
- 2009年4月
- 2009年3月
- 2009年2月
- 2009年1月
- 2008年12月
- 2008年11月
- 2008年10月
- 2008年9月
- 2008年8月
- 2008年7月
- 2008年6月
- 2008年5月
- 2008年4月
- 2008年3月
- 2008年2月
- 2008年1月
- 2007年12月
- 2007年7月
- 2007年5月
- 2007年4月
- 2007年3月
- 2006年11月
- 2006年10月
- 2006年9月
- 2006年8月
- 2006年7月
- 2006年6月
- 2006年5月
- 2006年4月
- 2006年3月
- 2006年2月
- 2006年1月
- 2005年12月
- 2005年11月
- 2005年10月
- All Entries