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No.012 エースとして
2001年9月「Omloop Van het Houtland」(Belgium/UCI1-5)より例年秋になるとコンディションが上向きになる。春にピークを持ってこようが、夏にすこぶる調子がよかろうが、俺は8月のカレンダーをめくった途端にコンディションが良くなるのだ。
今年の9月は例年以上にコンディションがいい。去年までのシーズン以上に春からきっちりとレースをこなし、自分では秋までは持たないだろうと思っていた。だが実際は9月と共に絶好調がやってきた。
パリ〜ブリュッセルでは勝負どころでのアタックを仕掛けたことで(追従してきたのはヨハン・ミュセウ、ハンス・デクレルク、ゲールト・ファンボントと、「本物」たちのみ)ベルギーの フランス語放送で解説をしていた第1監督であるビューレンスは契約を更改していないのに「彼は来期もうちで走ります」と言い切ってしまい、レース後そのま ま更衣室裏に首をガッシリと捕まえられたまま連行。そのまま来期も残ります、と言わされたのだった・・・初めて自分の言い値、そして俺のリクエストがすべ て通り、監督がOKをくれたので、結果的には良かったが。
フランダース選手権でもスタートから逃げ続け集団を木っ端微塵(だが俺も木っ端微塵の26位・・・ギリギリ入賞を逃したが)でゴール。
そして9月末に西フランダース州で行われる「オムロープ・ファン・ハウトランド」には、監督自ら「すべてのチームメートをマサの好きなように使え。お前がレースではエースでありキャプテンだ」と指令をくれた。そしてレースでも俺が優勝候補の一人として注目されていた。
カテゴリーは1-5のアマチュア・プロオープンレースだから、たいしたレースではないが、ただどんなに小さくてもレースを仕切って走れるのは楽しいことだ。もちろん楽しいだけじゃなく責任もあるが。
スタートまでは雨が振り続ける。更衣室付近の木の下などに入って雨をしのぐ。強烈な雨だ。俺は急きょホットクリームを重ね塗り、そしてシューズカバーやグローブなども生地の厚いものに交換する。
ス タートから風の影響でスロースタート。そのうち雨は止み日が差し込む。俺は早速この日一つ目の仕事「防寒具回収」を頼もうとしたが、普段自分でやっている ことなので頼むより先に自分でサポートカーに下がった。ロシア人チームメート。チェルビアコフが下がって待ってくれる。
横風で振り落としたいのか集団は秩序なくナーバスだ。俺は集団の中で危険ではない、そして風も避けられる位置で待機。ファンランデゲムが常に俺の周りで待機してくれている。
レー スは1時間ほど走ったところに、本日のメインディッシュとなる石畳がある。ディクスムイデ郊外にあるこの石畳は、この地域で行われるレース、例えば最近は イクテゲムのレース(近年はグルデンスポーレン2日間のステージに組み込まれる)やアマチュアのレースでも数多く使われている名物の石畳だ。およそ2キロ ほど続き、若干登っていく。畑の真ん中にあるので風を遮蔽するものはない。石畳と戦い、そして風とも戦う。俺の好きな石畳セクションのひとつでもある。
石畳を前に集団は渦巻くように位置取り開始。壮絶な位置取りで超ロングスプリント状態。俺はファンランデゲムにも守られ、最後は自力で集団の3番手ほどでセクションに入る。
そして最初の300mほどで俺は我慢できなくなり・・・
そのままアタックしてしまった。
アウターx14Tのビッグギヤで強引に踏みまくる。後ろを見るのは危険だから前を見続けるが、気配からするとバラけたようだ。俺はコールストロープのオムロープと一気にペースアップ、結局7人ほどの先頭でクリアーする。
その後何人かが合流。見ると20人ほどでチームからは俺一人。
どうしようか?だが答えはひとつ。これは俺のレース、誰も待たなくていい。俺が良かったら良いに決まっている。俺は少し余力を残して先頭交代していく。
ゴー ル地点のリヒテルフェルデの町に戻り周回コース。集団は完全に分断され、勝負はこのメンバーで決定だ。俺は複数いるチームや脚を温存しようと先頭交代に加 われないアマチュアを攻撃すべく、自らアタック。この周回コースは半分ほどが車2台が離合するのは困難な畑道。横風だと後方は不利だ。俺はここで全力ア タック、集団を分断しにかかる。
残り距離が減るにしたがって、逃げグループの中で俺だけには負けたくない、と言うような空気が流れ始める。ベルギー人、オランダ人に混じって俺だけが生粋の外人だ。気持ちは分かる。全員が敵。俺にとってこれほどレースとして最高のシチュエーションはない。こういう逆境の塊のようなレースの方が戦いがいがある。
俺 が先頭から下がったときには決まってアタックがあり、他の選手は即座に反応せず俺を待っているようだ。俺は「期待」に応えて追走し吸収すると、また誰かが アタック。人数が減ってくればなおさら俺へのマークがきつくなる。こうなれば最後まで戦い続けるのみ。強いと認めてくれた証明でもある。感謝して戦おう。
ラスト10キロを切ってオムロープ(コールストロープ)ら4人ほどに逃げられてしまった。他のメンバーは踏まない。俺はほとんど先頭固定。そしてラスト1キロで往年の名選手だったターレンら2人にも抜け出され、7位争いの集団の先頭でゴール、7位に終わった。
ゴールした途端、全力を出し切っていたことに気づくのにそう時間はかからなかった。ゴール後すぐに疲労困憊で、今まで自分がいたところとゴール後では時間の流れ方が極端に違う、そう感じ体が無反応になっていた。
優勝するということは難しい。何人で走っても優勝は一人。「勝てる」と言われてもそんな簡単に勝てるものじゃない。
俺は今日「勝てる」と言われ、多くの選手に勝てる選手として認めてもらい戦った。しかし最後はその通りにことを進めることが出来なかった。
高校を卒業して15年ほどの月日が流れている。
その間に俺の目指していた欧州の舞台で互角に戦うという夢は十分果たしていることに気づく。もう俺は今十分この世界で戦えている。
この状態で切磋琢磨すれば、必ず誰よりも早くゴールラインを超えることは出来るはずだ。そう感じることの出来たハウトランドのレースだった。
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