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No.011 ツール・ド・ベルギー後編
2002年ツール・ド・ベルギーより
第3ステージ、メッヘレン(Mechelen)からビルゼン(Bilzen)へと向かう220キロの長丁場。後半はまるで”ミニ”アムステルゴールドレースとも言えるようなアップダウンの繰り返し。
リーダージャージのヴァスカンプ(バタヴァス)と2位のディレクセンスの差は11秒。ボーナスタイムでひっくり返せる差なので、レースはまったく落ち着きがない。
スタート直後からアタックが始まる。距離が長いのでみんな反応が鈍いだろうとふんだ連中が動く。しかし最初のスプリント賞後に捕まり、補給地点手前で5人の逃げが新たに決まる。
ここにチームメートのスカマルデッラが入り、チームとしては理想的な展開。集団の中で足を休めておけばいい。
バタヴァスが集団の先頭で平均42キロあたりで延々と引き続ける。緩いアップダウンもあることを考えれば、かなりのスピードだ。
逃げるグループと集団の差は登りをこなすたびに少しずつ縮まっていく。
そしてランプレが揺さぶりをかける。
アムステルゴールドレースでも通過する「ハレンバイ」の登りで総合上位の選手がアタックを開始。しかしバタヴァスのアシスト達がきっちりと集団をまとめ上げ、逃げる連中を捕まえる。そして最後の周回コースへと勝負はもつれ込もうとしたときに、マトッツァが今日もアタック。
周 回コースでコールストロープのタイスがアタックし合流。集団と常に20秒ほどの差を付けて逃げる。バタヴァスは総合に関係ないのと、そしてさすがに200 キロも先頭を引いてきて疲労困憊なのとで集団のスピードは落ちる。ここでドモがヴァインシュタインスのためにスピードアップ。
集団はみるみる目減りしていく。まったく平坦のないジェットコースターコース。集団の後ろだととてもじゃないがコーナーの立ち上がりで着いていけないスピードになってしまう。
ラスト1周のラスト5キロで俺も力尽き、無理せずゴールを目指す。
ラスト4キロでロットのチュミルとミカイロフ、そしてテレコムのヴィノクロフがアタック。逃げる2人を追い越していく。ミカイロフが千切れ、そしてゴールの登りでチュミルが圧勝した。
ファンハックは17位と、またもや冴えず終わってしまった。
俺は1分44秒遅れの69位。総合は7分10秒遅れ75位だ。
ファンハックが総合で23位(1分21秒遅れ)、マトッツァが総合48位(2分36秒遅れ)という成績。
レース後、チュミルは優勝記者会見を兼ねる引退記者会見とし、突如引退を発表。個人的に好きな選手だったので、非常に衝撃まニュースだった。
第4ステージはビルゼン(Bilzen)からマルシェ・レ・ファメンヌ(Marche-En-Famenne)までの160キロ。
それほどきついサーキットではないが、平坦と言えるのは前半の40キロほどのみ。あとはアップダウンの連続だ。1回目のスプリント賞を終えてすぐにラウダーが単独で集団からブレークに成功。ラウダーは総合で84位(10分4秒遅れ)とリーダーを脅かす存在ではないので、すんなりと抜け出せた。俺もこの最終ステージで抜け出しを考えていたので、ラウダーに先行されて「してやられた!」と言う気分だ。
集団との差が10分ほど開いたところで、アルデンヌの森の中に突入。同時に小雨交じりの天気に変わる。このあたりはいつも天候不安定だ。
観光名所でもあるデュルブイにある峠で集団はスピードアップ。ランプレの選手らがバタヴァスのアシストを消耗させようと動いているためだ。
この日コールストロープの選手がバタヴァスに協力して先頭を引いている。バタヴァスの監督であるカピオットは元コールストロープで走っていた選手。監督同士が繋がっているので協力を依頼したのだろう。
補給地点を過ぎるとインナーを使う登りが増え始める。
一度登りで千切れるが、ファンランデゲムが集団まで全開で走って事なきを得る。
周回コースに突入。普段は解放されない軍隊施設内がゴールで、ゴール横には戦車が停車している。
ダラダラと登り続けた後、約400メートルだが急坂が待ち受ける。最大勾配15%強といったところか。シケインになったコーナーが急勾配の入り口にあり、それを終えてから本格的な登り。いきなりスピードはゼロに近い状態で登るので、かなりきつい。
ここで集団はばらける。頂上まであと50メートルほどのところで千切れ、後ろのグループを待つがなかなか来ない。
プランカールト(コフィディス)やエークハウト(ロット)、バタヴァスのアシスト連中もいるが、ゴール地点でみんなリタイヤしていく。
総合15位にいたマルルクスのカペレがブレーキを起こして遅れ同じグループに。彼のアシストが死にものぐるいで前を追う。2度目の登りでもまるで優勝争いをしているかのスピードに、ここで後ろに離れてゴールを目指す。
集団の先頭にはヘリコプターが張り付いているので、自分たちがだいたいどのぐらい遅れているか推測がつく。周回コースに突入したのはラスト30キロ。まずオーバータイムは心配しなくて良い。
ラスト15キロで嵐になり濡れた路面をゆっくり走る。こんなところで落車して病院送りなんかにはなりたくない。下りもゆうに10%を越える急坂。
この日優勝したスフォラーダから10分強遅れての最下位でゴール。総合は64位だった。
先頭グループは思ったほどにばらけずゴール。マトッツァが18秒遅れの第2グループで35位。ファンハックは腹痛で力が入らず総合43位まで転落し、総合成績での賞金ゲットをしそこねた。
このツアーで良い結果を残すことを望んでスタートしたが、叶わなかった。しかしそれは自分のコンディションが悪い訳ではなく、ベルギーチームの宿命、ベルギー人を優先させる必要があったためで仕方がないと思っている。
チーム内にベルギー人は9人。そのうち今回出場できたのはたったの4人。選ばれただけでも名誉なことだと思うしかないだろう。
(全日本)選手権までのポイントとして考えていたレーススケジュールは終わった。あとは帰国までに数レースを残すのみだ。
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