masahikomifune.com:

ホーム > レースレポート > No.014 Tour of South China Sea第7ステージ

No.014 Tour of South China Sea第7ステージ

masahikomifune12006-02-03

珠海でのクリテリウムは、海岸沿いの大通りを二分割して往復するコース。ゴール地点はパイロンを立てているだけ。他の区間は横風だと道いっぱいに広がってもいいということか・・・

今まで参加したサウスチャイナシー中、今大会が最もオルガナイズドされていないように感じる。もう少し大会運営もまともだったのに・・・

噂では2006年の5月ごろに、上海から香港という規模でステージレースを開催しようと考えているらしい。その運営などに主催者も大会関係者も目が向いてしまっていて、今大会は10回大会だというのにそれほど盛大さもなければ、一番不手際が多いように感じる。

スタートから俺はおとなしくゴールのみを考えて走るようにする。

ここまでの流れで総合もスプリント賞も消えた。残るは区間賞のみ。無理して中盤から激しく逃げる必要はない。ただ流れに乗りながら、自分の得意なパターンに、もしくはゴールまで脚を温存すればいい。

今日も序盤から日本チームが攻撃を仕掛ける。しかし今日は全体の流れがいつも以上に日本チームに逆風に感じる。

今日のステージ、中国では生放送で放映されている。中国人選手はもちろん、ここ中国大陸でスポンサー契約をスムーズにしようと考えているチームなどの思惑が入り乱れ、大差が付かない。

香港チームがかなりスピードを上げて追走し、吸収したタイミングを狙って攻撃も仕掛けるがダメだ。とにかく後半勝負でいこう。

ラスト3周ぐらいからは、チームメートに助けを借りて前のポジションを位置する。ラスト周回になると、いつものことだが集団は危険度を増していく。

ラストコーナーを曲がる際、前を走る西谷がメカトラブルの影響でペダルを外してバランスを失う。俺はほぼ真後ろに位置していたので巻き込まれかけるが、すぐに体勢を立て直して集団前方を追う。多分ここで出来たスペースが命取りだったのだろう・・・

ラスト400mほどで集団の10番手あたりへ。ここで風は右からなのだが、俺は敢えて風上で仕掛けたかった。詰まるのを防ぐためだ。そのために脚も温存していた。しかし詰まったときの影響で、俺が居られるポジションは集団の中央。ここで斜め前を走るスプリント賞ジャージを切るアメリカ人が強引に左側の選手をこじ開けようとプッシュ開始。これはどう考えても反則だ。

何 度目かのプッシュで左側を走る中国人選手は左に寄り、そのときに右ぐぁの選手と接触。それが俺の真ん前で絡んで落車。俺はあまりにも至近距離過ぎて避ける ことが出来なかった。多分こけた選手のハンドルが俺の前輪かに引っかかったのだろう。瞬時にジャックナイフ状態になり、俺はどうなったのか宙返りで前方へ はじき飛ばされた・・・

スローモーションで後方が天地逆の状態で見える。その後再び前方が見えて着地。

飛んだ瞬間か落ちた瞬間、俺の左足から「バ〜〜〜ンッ!!」と鈍い音が響く。瞬間的に電気が流れるように痛みが脚を襲う。そしてあまりの痛さに立ち上がれなくうずくまる。

これはかなりまずいことになったかも知れない。まったく起き上がれない。脛も痛いが、それ以上にふくらはぎのほうに異常な痛みを感じる。

チームメートに担がれて起き上がる。バイクは乗れる状態じゃない・・・

俺は初めて最終日を走らずにリタイヤした。非常に悔しいが仕方がない。

今回は最初から運もなかったし、それを逆転させるだけの脚もなかった。

コンディション的なものだったろうが、常に自分のレースが出来ない日々が続いていた。そして第7ステージでこういう結果になってしまった。もしかするとそれは初日から、もっと自分自身に対して注意を諭すためのシグナルだったのかも知れない。

左足の脛が少し欠け、そしてふくらはぎは破断。どうもそのときの衝撃が「バ〜〜〜ンッ!!」という音だったようだ。

2006年度シーズンは俺にとって非常に重要なシーズンとなるはずだが、いきなり元旦にこの有様だ。ただこれを陰に考えるのではなく、陽に考えよう。

「2006年の悪いことはすべて元旦に使い切った・・・」

Feed

Powered by

Search