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No.010 ツール・ド・ベルギー前編

2002年ツール・ド・ベルギーより

日本人の多くの選手がツアー・オブ・ジャパンをピークのひとつと考えるのと同じく、ベルギー人選手の多くはツール・ド・ベルギーに対して特別な意味を持っている。

所属するランドバウクレジット・コルナゴも同じ。

しかし今回のメンバー構成はベルギー人中心と思いきや、ベルギー人が4人にイタリア人2人、アメリカ人1人、そして日本人1人と言う構成だ。

この期間、チームはジロ組とダンケルクとベルギーツアー組に分け、ジロ組にベルギー人はストリールしか入っていないので、多分ベルギー人のみで構成されると思っていたのだが・・・

プロローグ前夜、特にベルギー人達に「今までの成績でチームに残留できるなんて思わないで欲しい。このツアーを始めシーズン終了までにスポンサーを納得させられる成績を希望する」と厳しい言葉をかけられた。この言葉の裏には、来シーズンからベルギー車連の定める最低給与引き上げが大きく関与している。

今回プロローグの会場となったのはチームの第二の本拠地と言うべきオーステンデ(Oostende)。今までチームが弱小ケルメスチーム時代から支えてきたスポンサーのひとつである「レストラン・ベニー」がある街。俺達にとって第二の拠点だ。

チームのプレゼンテーションもこのレストランで行われ、レース以外でもここを訪れるチーム員には飲み物をサービスしてくれたり、子供を連れて食事に行ったときには特大のアイスクリームをデザートで提供してくれた(あまりにでかくて、結局俺が食った)

オーナーのダニエルもチームカーに同乗して選手を見守ることもある。

コース脇にはベルギーのテレビ関係車両がぎっしり。

ベルギーでは、UCIカテゴリーが2以上でないとテレビで生放送はまずされない。しかし今回のようにUCIカテゴリー2-3で生放送があるというのは、カテゴリーの割にそれだけ注目度が高いと言うことだ。なんと言っても「ナショナルツアー」である。生放送があるレースというのはスポンサーへのアピール度が高いので、レベルは以上に高くなる。

この日の午前中は雨。レースが始まる前から晴れだしたが、風は嵐のようにきつい。

プロローグのコースは7.2キロのショートコースで、海岸沿いを行って帰ってくるだけの単調なコース。

ダンケルク4日間からあてがわれたタイムトライアルバイクでスタート。向かい風がきつく、おまけにバイクのポジションもきっちり出ていないためにスピードに乗れず、トップのルーセムスから1分3秒遅れの106位だった。

チームではファンハックが28位に入ったのが最高位だった。基本的にチームメート全員がタイムトライアルはあまり得意でないので仕方がない。

アルデンヌでのステージを考えれば、1分などアッという間に開く差だ。

第1ステージはオーステンデからフランダースアルデンヌ丘陵地帯を巡り、そして再び海沿いに戻るコース。ゴールはリゾート地のクノッケ・ヘイスト(Knokke-Heist)。距離は220キロの長丁場。

この日も風がきつく、スタートからアタックが始まる。

ペンコル(フランセーズ・デ・ジュ)とヴゥクレー(ボンジュール)がアタックに成功。最大16分の差を付ける。

フランドルでも走る登りでのブレークに備えて集団の前で展開するも、ルーセムスのコールストロープが集団をリード。何度かドモなどが動きそうだったがクノッケの周回コースまで何もなく進む。

周回コースで前との差は一気に詰まり1分半ほど。そこでいきなりファンハックがチームメートに「先頭を引け」と命令してきた。

俺は理解に苦しんだ。なんで?何で俺たちが?

集 団は前の2人を除いて誰もブレークしていない。ラスト20キロ強。追走する意味はない。区間賞を狙っているランプレ(スフォラーダ)やタッコーニ(ミナー リ)、リーダージャージのコールストロープやリーダージャージを奪おうとしているヴォスカンプのバタヴァスが集団を引くなら理解できる。

今この状況で俺たちの取る作戦と言えば、ラスト3キロあたりで列車を作るか、どこかの列車に「タダ乗り」させるべくゲリラのように集団内で潜んでいる。しかし・・・

テレビカメラのオートバイの横をチームメートは先頭を引いている。コフィディスやランプレ、タッコーニの選手達が楽そうに後ろで休んでいる。

集団の先頭でどんどん消耗していくチームメート。俺も数回先頭に出て、やる気が失せてしまい、集団後方に。

ラ スト5キロでほとんどのチームメートが集団から置いてきぼり。俺もファンランデゲムと一緒に集団からバックファイアー。残りの3日間を考えるとあまりにお 粗末な展開だ。これでファンハック以外は全員総合でのチャンスはなくなるし、ラスト1キロの大事なところでファンハックをアシストする選手は誰もいないからだ。

ゴールでは案の定誰もアシストがおらず(自分で全員殺したのだから当然だ)ファンハックは13位と平凡な成績に終わった。

ゴール後ファンハックは「今日はあまり調子が良くなかったよ。テレビにいっぱい映ったし、良い広告効果だったな。」と理解不能なコメントを言い捨てた。

別にテレビに映るために走っている訳じゃない。結果を残すために走らなければ意味がない。特に現在ディビジョン2でのチームランキングトップ争いをしているのだ。ちょっとでもポイントを稼がないと意味がない。そのためにこのツール・ド・ベルギーで頑張っているんじゃないのか・・・

この日以降、チームは完全に2つに割れた。もちろん原因はラスト20キロからの追走だ。ツール・ド・ベルギーにベストコンディションで挑んでいない何人かはそれで良いと思っているようだが、ここで活躍して良い結果を残そうとしている何人かは明らかに不服そうだった。

この日は区間賞を取ったスフォラーダから1分37秒遅れの98位。リーダーはヴォスカンプ(バタヴァス)に変わり、総合は2分40秒遅れの98位だ。

第2ステージはクノッケからブリュッセル郊外のメッヘレンへと移動する100キロのショートステージ。しかし午後にはメッヘレンで14キロの個人タイムトライアルが待ち受けている。

しかし本当に100キロなのか。昨日は220キロと記載されていたが、実際は235キロも走っていた。

スタートは朝8時半。そのため起床は6時。大きなホテルだと朝食で融通が利かないところも多く、「7時までは食事が出来ません」なんて言われるところも少なくないが、こぢんまりした個人ホテルなので早朝からきちんと食事の用意がされていた。

今日は湿気が多く肌寒い。風はあまりきつくない。

ショートステージ特有のスタートからアタック合戦。逃げを試みるがそう簡単にはいかない。

しばらくしてロットのドーランデル、マペイのステールスらがアタックに成功。集団は必然的にバタヴァスが追走体制を取る。

コース中盤の石畳で、このあたりに住むファンランデゲムの指示で集団の前に移動。石畳後に集団のペースを上げて集団をナーバスにさせる。しかしその後電車の踏切に引っかかり、集団はまたひとつになってしまった。

ゴール手前20キロほどで前を吸収すると言うところで、マトッツァがアタックし単独で逃げる。この逃げはラスト5キロまで続いた。マトッツァはこのツアーにベストコンディションで挑んでいるようだ。

ヴァインシュタインスのためにドモが列車を作りペースアップ。俺はプランカールト(コフィディス)の後ろにはまるが、彼はそのままラスト1キロで前に上がれなかったために沈没。巻き添えを食らってそのまま集団からバックファイアー。

24秒遅れの85位。総合も同じく85位。

ちなみにこの日はゴールしてみると130キロ!どうやったら30キロも誤差が生じるんだ・・・

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クルト・ファンランデゲム(左)とジェフ・ラウダー(右)チーム内でも仲が良く、一緒にスペインに走り込みに行ったりする仲だった。多くのレースでも共に戦い、チームの中でも特に仲が良かった。

着替えて昼食を取り、そして車でタイムトライアルのコース下見。14キロでコーナー25回を越える。まるでクリテリウムだ。

ローラーで30分ほどウォームアップしスタート。

昼から雨が降り出し、路面はウェット。2つめの深いコーナーでいきなり前輪が滑って落車寸前。スタートしてたった数百メートルで集中力が切れてしまった。

総合で上位に入るチャンスがあるなら、多少のリスクを背負ってでも攻めの走りに徹するが、よほどの事がない限り総合で30位以内はありえない。となれば35位でも最下位でも一緒、エネルギーを使い切らないようにゴールを目指す。

タイムは19分40秒ほどとほぼ最下位。俺と同じようにやる気の無かったようだったミュセウやスプリンターのミナーリなどは、俺より「温存」していたのか俺より下位だった。

明日からの2日間は舞台をアルデンヌへと移し、もっと過酷なレースになることだろう。

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