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No.005 天国から地獄へ 後編

GPエリックブルーキンクより〜

第2ステージ、昨日のゴール地点がスタート&ゴール。190キロほどだ。

コースはアルデンヌ丘陵地を横切るもので、国境を越えてベルギーへと入っていく。

昨日とは打って変わってスタートからハイペース。

スタート直後にGPMが設定されており、マペイの若手らがいきなり全開走行だ。

下りでは時速90キロ以上。パンクしないことを祈るのみだ。

30キロほど走って後輪のスポークが切れる。路面にはあちこちに穴があり、それにヒットしたのが原因のようだ。

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(1月チームプレゼンテーション。このときはたくさんのいいことも悪いことも含め「事件」があろうとは、事件もしなかった)

100キロ地点までGPMが休みなく設定。しかし意外にも集団はばらけず、ゴールまでもつれることになった。

これは第1ステージに区間優勝したリーダーのファンダイクの所属するロットを始め、ラボバンク、コーストなど、スプリンターしか持ち駒がなく、できることなら集団ゴールにしたかったことも理由のひとつだろう。

コースがきついからレースがきつくなるのではない、レースをきつくするのは選手自身だ。

周回コースは昨日とまったく一緒。2周してゴール。

周回コースのスピードは昨日よりはるかに速い。集団の前に位置し、総合で30位以内を目標に走る。

ラスト4キロ、周回コース中の最後の登りで、凄い勢いでどこかのチームがペースアップ。どうやらマペイだ。

世界的には無名な若手しかエントリーしていないのに!!

(当時は無名だったが、カンチェラーラ、ポッツアートがいた)

ここで集団は2つに大きく割れた。60人ほどのグループで、チームからはファンハック、ストリール、デワールと俺の4人。

タイムトライアルを得意とするファンマルデゲムは調子が悪いのか、「あがるぞ」と声をかけたがついてこなかった。

・・・昨日のレース後、監督に

「集団スプリントになるってレース中に言ってただろ!だから期待していたのに」

と監督に茶化されていた。

監督はファンハックにポジションを譲ったことを知っている。

しかし去年の段階で、UCIカテゴリー3ぐらいのレースなら状況にもよるがアシストせずに、自分のレースをしても良いと言うように告げられていた。

今レースをしているのは、アマチュア時代に何年も滞在した第二の故郷オランダ・・・

今年加入したファンマルデゲムの快進撃(このGPエリック・ブルーキンクでも最終的に総合3位でフィニッシュ)、ファンハックの好調や他チームメートの好調など、いろいろな焦りがあったのかも知れない。

「自分がどれだけ走れるか、アピールする最大のチャンス!」

スト2キロでは53Tx11Tに固定、集団の中で自分のいるべきポジションを確保すべく他チームを分析する。

いまいち貧弱なテレコム、これはパス。

ナゾンのいるボンジュール、しかしナゾンは後ろの集団。

ラ・フランセーズ・デ・ジュはカスパーにすべてを託そうとしているし、メンツも揃っている。しかも大半の選手がマークしている・・・

ロットも当然マークが厳しく、俺の入り込む余地はない。

単品ながら前を目指そうとするコーストのスウェーデンチャンピオンを発見。後ろをマークする。マークする選手は皆無なので簡単に後ろを取れる。

ラスト1キロを切っての右コーナー後、トップスピードに乗せようとしていたときのことだった・・・

前日もコース左外側の自転車道を走る選手がおり、コースに戻るときに危ないシーンが何度もあった。

そのため右からの横風で不利なのは承知だったが、ほんの少しだが前の選手の右側を走っていた。

すると数人前で落車があったようで、不意に前の選手が右に膨らんだ。それが前の選手の右側を走行していたため、まったく見えなかった。

瞬間、前の選手が行く手を阻んで落車。時速60キロほどは出ていたろう・・・

目の前に地面が飛んできた。いや、俺の顔が地面に凄い勢いで突っ込んでいった・・・

バキッ

凄く鈍い音がした

・・・

ドクターが車が降りてきたようで、何か言っている。

ヘルメットも脱がされた、とうかヘルメットの形がない・・・

ニュートラルカーの人が介護してくれる。なんだか目の前にある自分の右手のグローブは真っ赤に染まっている。

「ラスト1キロ以内だからルールでは同タイムだったよな・・・」冷静に考えている自分に気付く。

起きあがろうにも肩が上がらない。

「鎖骨か?」

とっさに鎖骨に手をやるが折れているような感触はない。

まったく言うことのきかない腕を引きずり、ニュートラルカーの人に支えられてバイクに跨る。

車にほとんど押された形でゴール地点へ。ゴールまでの数百メートル、観客の俺を見る目から、相当なダメージを受けている、いや、普通の怪我じゃない自分に初めて気付く。

チームカーにつくと監督がすぐに病院に行こうと言い出した。

ガラスに映った自分は顔面からも出血、ヘルメット粉砕、両手の甲、両膝とも流血、足首も流血、それに左肩はダラ〜ンと下がっている・・・

レーサーシューズも傷だらけで金具が壊れて脱げない。

それ以前に肩が痛くて、自分の手がシューズまで届かない。

病院に着くと、救急車で運ばれてきていた去年のチームメート、ファンデワールは、右鎖骨と手首を骨折していた・・・

レントゲンの検査後、左肩胛骨にひびが入っているという。全治3週間。その間はバイクには乗れないと言う。

これで春の最大の目標としていた「フランドル一周」をはじめ、春のクラッシックレースへの出場は絶望的となった・・・

今年はプロ9年間の中で最も高いモチベーションで走っていた。

それは、チームが今までとは比べものにならないような大きいレ−スに出場できるチャンスができたからだ。

それがドクターの「全治3週間」のコメントですべてが吹っ飛び、目の前が真っ暗になった。

「数週間はレースに出られない、春はアウトだ」と家に電話した瞬間、急に涙が溢れて、泣くことを堪えることができなくなった。

俺たち下の方のレベルのプロは1年契約。それがいきなり半分もチャンスがなくなった。

その日の晩ほとんど寝られなかった。それは痛みだけのせいじゃない、どうしたらいいのか分からない不安がかなりのパーセンテージを占めていた・・・


2日後、チームドクタークーマンを訪ねる。

レントゲン写真を見せると肩胛骨は完全に折れているという。念のためにと整形外科の専門医にもレントゲン写真を診てもらったが、間違いなく骨折だそうだ。

実はこれが生まれて初めての骨折だ。

しかし、うまくいけば2週間でロード練習に出ることは可能で、明日からでもローラーには乗るよう言われた。

折れていることは非常にショックだが、しかし努力次第ではヘント〜ウェヴェルヘムには集団に戻ることは可能だそうだ。このクーマンのコメントは、今の俺にとってはどんな薬よりも効果的なものだ。

監督も基本的には順調に回復すれば、ヘント〜ウェヴェルヘムでの復帰を考えている、とのことだが、もし「スーパー」な回復をすることもあり得るのでフランドル一周には絶対出られないとは言わない、と言ってくれた。

この監督のコメントのおかげか、たった二晩だが傷もかなり塞がってきた。

足首は肉がえぐれており、かなり深傷だったが肉が盛り上がってきている。

2週間後の再レントゲン写真撮影で、自分の治癒能力の高さ、いや、モチベーションの高さを証明しなければならない。

気合いで怪我も骨折も直せるはずだ。「病は気から」と言う諺もある。(骨折は病か??)

骨折から3日目。

ローラーに乗り始めた。

目指すは3回目のフランドル一周へ出場すること!

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