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No.002 '05ジャパンカップ後編

スタート直後からアタックが始まり、オープニングラップの頂上までで日本人選手たちが抜け出した。

逃げる選手は

  • 橋川(キナン)
  • 廣瀬(シマノ)
  • 品川(シマノ)
  • 福島(ブリヂストン)
  • 飯野(ラバネロ)
  • 綾部(ミヤタ)

の6人。

橋川や福島は去年も逃げを試みている。シマノの選手が序盤から動くと言うのは予想外だったが、地元出身の廣瀬選手が入ることで、積極性も増し、結果的にこの逃げを強力にしたのではないだろうか。

集団もそれほどイージーなペースにならないために差はなかなかつかない。それでも中盤には最大3分ほどの差に広がる。

中盤を過ぎてクイックステップ、ランプレ等のチームがペースを上げていく。

俺は勝負どころに備え、古賀志林道のつづら折れに差し掛かるところまでは集団のペース、そしてそこから頂上までは心拍数を上げないよう、回復させるイメージで走行する。ギヤも23Tを使うが、21Tでも走れそうなイメージだ。

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綾部が先頭グループから脱落、そして徐々にペースがあがったところで飯野が脱落、前は4人になる。

ラスト3周へと向かう多気(たげ)のコーナーを過ぎて、バイクに異変が起こる。

急にクランクが回らなくなる。

集団のスピードからすると確実に古賀志林道あたりでアタックが開始されるはずだ。その大事な局面で何が起こったのかわからない。俺はすぐにバイクを降り確認する。

フロントメカのバンドが緩んだのか滑り落ち、チェンリングに擦れている。

今回使用する俺のカーボンバイクは、10月に入ってから新たに投入されたカーボライトだ。もしかすると今日までの使用でネジなどに緩みが生じていたのかも知れない。

今はどうやってこの状態をリカバーするのか。それだけを考える。

チームカーを呼びスペアバイクに交換。そして集団へと復帰を試みる。

普通なら簡単に復帰できるのだろうが、鶴CCの登りで集団は見えるも追いつけない。そして常に集団と差がある状態で古賀志林道に突入した。

突入と同時に集団ではアタックしているのが見える。

俺は再び徐々に集団との差が開き始める・・・

無線でメインバイクの修理の状況を監督に聞く。

交換する際、修理してもらえるように言っておいた。うまくいけばこの周回で交換できるかも知れない。

古賀志林道のつづら折れで、頂上で交換することを確認する。

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下りを全開で攻めて前の集団へ。しかしそこは完全にレースを終えてしまった完走目的のグループ。

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クイックステップのアシスト、そして中川と柿沼ら。

柿沼は調子が良さそうに見えたが、後半一気に力尽きたようだ。俺が最悪、勝負に加われない場合は柿沼がうまく立ち回ってくれるだろうと考えていただけに残念でもあり、今の状況はチームにとって最悪。ただそれだけだ。

完走42人中41位。

ゴールに辿り着いたことなんかは評価の対象じゃない。数字を残して、賞金圏内でゴールすることが「最低限」の結果なはずだ。

今年59,000人を発表された観客の人たちから、多くの応援を頂いた。

今まで以上に多くの人から熱い応援を受けられたことで、最大の崖っぷちから前のグループに追いつくことが出来たし、そうすることで「何もなければ」と言うことをアピールできたと思う。

今の時点で来年のジャパンカップのことは分からない。ただもし来年出場できるのであれば、37歳と言う年齢からすると選手として勝負に絡むことの出来る最後の年になるかも知れない。

今年の悔しさは忘れないようにしたい。

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